スイス居住取締役要件の法的実務:日本企業が直面する役員構成の壁
スイスをはじめとする欧州圏で自社のビジネスを拡大し、現地法人を設立するプロセスにおいて、日本の慣行とは根本的に異なる厳格な機関設計の要件を正確に理解し遵守することは不可避の課題となります。スイスの法律では、法人に少なくとも1名のスイス居住かつ代表権を持つ取締役または管理者を置くことが義務付けられており、このスイス居住取締役要件は、外国企業が現地進出を図る際の最初の関門となります。
日本の本社から自社の役員を直接現地に派遣しようとする場合、第三国国民として適用される厳格な労働市場テストや就労ビザ取得の極めて高い難易度が壁となります。一方で、ビザの課題を回避するために現地の居住者を名目上の役員として起用するノミニー制度を活用する場合には、スイス特有の重い民事上の損害賠償責任と不法行為に関する重大な法的リスクが伴います。
本記事では、スイス法における取締役居住要件の法的根拠をはじめとして、就労ビザ取得の実務的ハードル、名義貸し役員を活用した場合のスイス連邦最高裁判所の判例に基づく法的リスク、およびスイス商業登記所への登録実務について網羅的かつ詳細に解説します。
スイスにおける法人設立については、以下の記事にて詳しく解説しています。
スイス債務法における取締役の居住要件の基礎と日本法との比較
居住要件の法的根拠とスイスの立法趣旨
スイスにおいてビジネスを展開する際、法制面で最も留意すべき法令の一つが、スイス債務法(Obligationenrecht:OR)に規定される役員の居住に関する要件です。スイスの会社形態として最も一般的に利用される株式会社(Aktiengesellschaft:AG / Société anonyme:SA)に関して、スイス債務法(SR 220)第718条は、取締役会が会社を対外的に代表する権限を有することを規定した上で、同条第4項において、少なくとも1名の取締役会メンバーまたは代表権を有する管理者がスイス国内に居住していなければならないと厳格に定めています。また、もう一つの主要な会社形態である有限会社(Gesellschaft mit beschränkter Haftung:GmbH / Société à responsabilité limitée:Sàrl)についても、スイス債務法第814条第3項が同様の規定を設けており、会社を代表する権限を持つ少なくとも1名の管理者(Geschäftsführer)がスイス居住者であることを要求しています。
参考:fedlex(スイス連邦政府法令データベース)|SR 220 債務法(OR)
スイス法がこのような取締役の居住要件を維持している背景には、単なる国内雇用の保護を超えた、国際的な金融コンプライアンスの強化という強い政策的意図が存在します。スイスに居住する代表者は、金融仲介業者によって管理されている場合を除き、株主名簿(Aktienbuch)および実質的支配者のリスト(OR第697l条(l=小文字エル))へのアクセス維持義務を負っています。これは、マネーロンダリング(資金洗浄)の防止やテロ資金供与対策を目的とした国際基準を満たすための不可欠な措置です。さらに、スイスの税務当局、商業登記所、社会保障局などの政府機関が法人に対して法的措置や公的な通知を行う際、国内に確実な窓口(コンタクトポイント)が存在しない場合、法執行を迅速に行うことができず、実態のないペーパーカンパニーが濫用されるリスクが高まるためです。
日本の会社法における代表取締役居住要件撤廃との対比
スイスにおける取締役 居住の厳格な要件を深く理解するためには、日本の法律における現状の制度と対比させることが極めて有用です。日本企業が海外進出を行う際、自国の法制度の感覚のまま現地の機関設計を想定すると、根本的な法令違反に直面する危険性があります。
かつて日本の会社法実務においても、株式会社および合同会社の代表取締役または代表社員のうち少なくとも1名は日本国内に住所を有しなければならないという運用がなされていました。しかし、日本政府は外国直接投資の促進とグローバル企業の日本法人設立を円滑にする目的で、2015年(平成27年)3月16日付法務省民商第29号通達(内国株式会社を対象)を発出し、この日本における代表取締役の居住要件を完全に撤廃しました。この制度変更により、現在の日本の法律下では、取締役全員が海外に居住する非居住者であっても、適法に日本法人を設立し、商業登記を完了させ、ビジネスを行うことが可能となっています。以下の表は、スイスにおける取締役の居住要件と日本の現行法との主要な違いを比較したものです。
| 比較項目 | スイスにおける会社法(債務法) | 日本における現行の会社法 |
| 取締役の居住要件 | 少なくとも1名の居住かつ代表権を持つ取締役または管理者の選任が必須 | 2015年の法務省通達により居住要件は完全に撤廃済 |
| 制度の主な目的 | 資金洗浄対策、税務および債権回収のための管轄権確保と責任追及 | 外国直接投資の促進、グローバル化への対応、法人設立の円滑化 |
| 居住要件を満たさない場合 | 組織的欠陥(債務法第731b条)として裁判所による強制解散の対象となる | 居住要件が存在しないため、全員が非居住者であっても適法に存続可能 |
| 名義貸し役員への責任 | 実質的関与の有無を問わず、善管注意義務違反として厳格な連帯責任を負う | 名目上の役員であっても第三者に対する損害賠償責任(会社法429条)等を負う点では類似 |
日本企業が自国の感覚で「本社から非居住の役員のみを登記すればよい」と考えてスイスに進出しようとすると、スイス商業登記所(Handelsregister)は、代表権を持つ居住者が確保されていない申請を即座に却下します。したがって、スイスでのビジネス展開においては、進出の初期段階において必ず現地の居住要件を満たすための具体的な人的配置の戦略を立案しなければなりません。
組織的欠陥と法人の強制解散リスク
スイス債務法において、取締役の居住要件は法人設立時のみならず、法人の存続期間中を通じて常に維持されなければならない継続的な義務です。仮に選任していたスイス居住の代表権者が突然辞任し、後任の居住者が選任されない状態に陥った場合、そのスイス法人は法律上必須の機関を欠く状態となります。スイス債務法第731b条は、法人にこのような組織的欠陥(Organisationsmangel)がある場合、株主または債権者(OR第731b条第1項)は裁判所に必要な措置を講じるよう申し立てることができます。また、商業登記官は、組織的欠陥を発見した場合、会社に是正を命じ(OR第939条第1項)、期限内に是正されない場合は裁判所に案件を送致します(同条第2項)。
裁判所は通常、法人に対して新たな居住取締役を選任するための一定の猶予期間を与えますが、指定された期限内に組織的欠陥が是正されない場合、裁判所は職権で当該法人の強制解散(Auflösung)および清算手続きへの移行を命じることが可能となります。強制解散となれば、スイス法人の事業活動は即座に停止し、現地の銀行口座は凍結され、スイスを拠点として構築しようとしていた欧州のビジネス全体が壊滅的な打撃を受けることになります。
取締役の居住を確保するためのスイス就労ビザ取得に関する法的実務

第三国国民としての厳格な労働市場テストと割当制度
スイス居住取締役要件を満たす最も直接的かつ統治上安全な方法は、日本の親会社から自社の信頼できる高度な専門知識を持つ人材をスイスに派遣し、スイスに居住させつつ取締役(GmbHの場合は管理者)に就任させることです。しかし、この手法を選択した場合、スイスの厳格な移民法および労働法規に基づく就労ビザおよび滞在許可証の取得という極めて高いハードルを越えなければなりません。スイスの外国人滞在管理システムは、欧州連合(EU)および欧州自由貿易連合(EFTA)の加盟国市民と、それ以外の第三国国民とで完全に制度が分かれています。日本人は第三国国民に分類されるため、最も厳格な審査基準の対象となります。
スイス連邦移民国家事務局の規定によれば、第三国国民がスイスで就労し滞在許可を得るためには、まず当該人物が大学等の高等教育機関での学位を有し、かつ長年の実務経験を持つ「高度専門人材」であることが要求されます。さらに、雇用主となるスイス法人は「労働市場テスト(Inländervorrang)」と呼ばれる厳格な証明義務を果たさなければなりません。これは、スイス国内の労働市場および広大なEU/EFTA圏内において、その職務を遂行できる適切な人材を見つけることができなかったことを、公的な求人活動等を通じて当局に証明する義務です。
参考:SEM(スイス連邦移民国家事務局)|第三国国民の就労許可要件
単に新たにスイス法人を設立し、そこに日本の親会社から代表者を派遣するという名目だけでは、スイスの地域経済に対する実質的な貢献や現地の雇用創出効果が明確に証明できないため、当局から労働許可が下りる可能性は極めて低くなります。また、第三国国民に対する労働許可は年間ごとに連邦政府が厳格なクォータ(割当数)を設定しており、この枠が枯渇した場合には、いかに優秀な人材であっても当該年度中の許可は得られません。なお、近年は年間クォータ(2026年時点:第三国向けL許可4,000枠・B許可4,500枠)が年度内に枯渇した実績はなく、2024年末時点の利用率は74%程度にとどまっています。給与水準に関しても、現地のスイス人従業員と同等の地域標準および職種標準を満たすことが厳格に審査されます。
企業内転勤枠組みの要件と実務上の障壁
労働市場テストの例外として日本企業が活用し得る手段の一つに、企業内転勤(Intra-Corporate Transfer:ICT)の枠組みがあります。これは、多国籍企業がグループ内の幹部や専門知識を持つ従業員をスイスの支店や子会社に異動させるための制度です。ただし、スイスはEU ICT指令(Directive 2014/66/EU)の適用外であり、企業内転勤案件も通常の第三国国民向け許可手続き(外国人統合法・VZAE)の下で審査されます。労働市場テストの免除は制度上保証されておらず、個別案件ごとに州当局が判断します。依然として多数の厳しい法的要件を満たす必要があります。
具体的には、異動する役員が転勤前の一定期間、日本の親会社で継続して雇用されていた実績の証明が求められます。また、スイス法人の事業計画書をカントン(州)の労働局および連邦移民国家事務局に提示し、その法人がスイスにおいて長期的な経済的利益をもたらす実態のある事業を行うことを立証しなければなりません。これらのビザ申請手続きには膨大な時間と法的専門知識、そして現地の行政当局との緻密な交渉を要するため、事業展開のスピードを重視する企業にとっては、自社からの役員派遣のみに依存する戦略は現実的ではないケースが多く見受けられます。結果として、多くの企業は現地の居住者を役員として起用する代替策を模索することになります。
スイスにおける名義貸し取締役活用の法的リスクと責任
スイス債務法第754条に基づく善管注意義務と連帯損害賠償責任
自社からの役員派遣が時間的・制度的に困難な場合、多くの外国企業はスイス国内の信託会社、法律事務所、あるいは会計事務所などが提供するノミニー・ディレクター(名目上の取締役、Strohmannまたはprête-nom)のサービスを利用して、スイス居住取締役要件を満たすことを選択します。この実務自体はスイス 商業登記制度上において適法とされており広く行われていますが、スイスの会社法制が規定する取締役の責任の重さを正確に理解せずにこれを利用することは、日本の親会社およびスイス法人に極めて大きな法的リスクをもたらします。
スイス債務法第754条第1項は、取締役会のすべてのメンバー、経営を委任された者、および清算人が、その義務を意図的または過失によって違反し、それによって会社、株主、または債権者に損害を与えた場合、同項に基づく損害賠償責任を、第759条第1項により連帯して負います。スイスの法律においては「自分は名義だけを貸している名目上の取締役に過ぎず、実質的な経営判断は日本の親会社が行っていた」という弁明は一切通用しません。名目上の取締役として登記されている以上、実際に会社の業務を執行している取締役と全く同等の善管注意義務と忠実義務を負います。
さらに、権限を第三者に委任した場合であっても、スイス債務法第754条第2項は取締役に対して、適切な人物の選任(cura in eligendo)、適切な指示の付与(cura in instruendo)、および継続的な監督(cura in custodiendo)という三つの重い義務を課しています。日本の親会社がスイス法人の現地役員を完全に蚊帳の外に置き、単なる書類上の署名者としてのみ扱い、親会社の独自の判断でスイス法人の資金を動かしたり契約を締結したりした場合、現地の取締役 居住者は自身の預かり知らないところで発生した債務不履行に対して自己の個人資産をもって連帯責任を追及されるリスクに晒されます。
スイス連邦最高裁判所判例:名義貸し役員の租税および不法行為責任
スイス連邦最高裁判所は、過去の数々の判例において、名目上の取締役に対する厳格な責任追及を認めています。この司法の姿勢を理解することは、スイス 取締役 居住要件の実務を把握する上で極めて重要です。
代表的な判例として、1989年10月9日に下されたスイス連邦最高裁判所の判決(BGE 115 Ib 393)が挙げられます。この事案において、I. S.A.という会社の唯一の取締役として商業登記簿に記載されていたX氏は、同社が主要資産である不動産を売却した後に取締役の辞任を届け出ました。その後、スイス連邦税務当局は同社が実質的に清算されたとみなし、清算余剰金に対する源泉徴収税の支払いを求めました。X氏は「自身は単に名前を貸しただけのストローマン(名義貸し役員)であり、実質的な経営には一切関与していない」と主張し、連帯責任の免除を求めました。しかし、連邦最高裁判所は、同氏が名義貸しであることを理由に連帯責任を免れることはできないと明確に判示し、事実上の清算人として未払い税金に対する個人的かつ連帯的な支払いを命じました。なお連邦最高裁判所は、清算人が源泉徴収税法第15条第2項に基づく免責を受けるためには、税債務の確定と履行に向けて合理的に期待できることをすべて行ったことを証明しなければならないとも判示しています。本件X氏は、法律知識がなかったこと・報酬が責任に見合っていなかったことも主張したが、いずれも免責事由として認められませんでした。
参考:BGer(スイス連邦最高裁判所)|BGE 115 Ib 393
さらに、名目上の取締役が親会社の指示等に従った結果として重大な損害を被った近代的な事例として、2021年6月29日に下された判決(4A_342/2020および4A_344/2020)が存在します。この事件では、スイス法人の2名の受託取締役(administrateur fiduciaire)が、いわゆるCEO詐欺の一形態として、抜き打ちの税務調査に関する費用名目の偽の送金指示メールに基づき、総額486,000ユーロの海外送金に関与しました。控訴裁判所は当初2名の連帯責任を認定しましたが、連邦最高裁判所は、善良な管理者であればその送金指示が詐欺であることを容易に見抜けたはずであり、資金移動に関する安全対策や確認のガイドラインを社内に設けていなかったことは重大な過失であると認定した上で、4A_342/2020において取締役no.2の上告を認容し、因果関係の欠如を理由に同人の責任を否定しました。4A_344/2020において、取締役no.1のみがスイス債務法第754条に基づく486,000ユーロの損害賠償責任を単独で負うことが確定しています。
この判決に関する詳細は、スイス連邦最高裁判所の判例アーカイブで確認することができます。
参考:BGer(スイス連邦最高裁判所)|TF 4A_342/2020・4A_344/2020(2021年判決)
刑事責任の波及とコーポレート・ガバナンスへの影響
民事上の責任に留まらず、スイスでは名目上の取締役に対して刑事責任が問われるケースも存在します。2008年5月9日に下された判決(6B_54/2008)では、スイス刑法第158条に基づく不誠実な事業管理罪(Ungetreue Geschäftsbesorgung)の適用範囲について重要な判断が示されました。なお同判決では横領(Art. 138)および不良経営(Art. 165)も併せて認定されています。裁判所は、指示を受ける名目上の取締役として違法行為に関与した場合、「自分は名目上の存在であり、親会社の指示に逆らえなかった」との抗弁は刑事責任を免れる理由にはならないと判示しました。
また、役員が辞任した後の損害についての責任範囲を示した1987年4月7日の判決(BGE 113 II 52)において、連邦最高裁判所は、取締役が主要株主に対して無担保の巨額貸付を行うことを容認した後に辞任した場合、その貸付に起因する損害が辞任後に顕在化したとしても、辞任前の義務違反と損害との因果関係が認められる場合には元取締役の責任が生じ得ると判示し、事件を原審に差し戻しました。
これらの判例から明らかになるのは、スイスでビジネスを行う以上、名目上のスイス居住取締役を配置したからといって日本の親会社がすべてを専断できるわけではなく、現地の取締役に対して適切な情報開示を行い、適法な企業統治のプロセスに彼らを組み込まなければならないという法的現実です。実務上、スイスで職業的ノミニー・ディレクターとして活動する現地の役員は、自己の重い責任を回避するために、スイス法人の銀行口座に対する共同署名権の確保、詳細な財務報告の定期的な提供、さらには親会社からの強力な免責補償契約の締結を強く要求してきます。現地役員のこうした要求に応えるためにも、本社とスイス法人との間で透明性の高い業務プロセスを構築することが不可欠となります。
スイス商業登記所への取締役登録実務と要求される厳格なコンプライアンス

スイス商業登記令に基づく身元確認と署名認証のプロセス
スイスで法人を設立し、取締役 居住要件を満たす人物を選任した後には、カントンごとに管轄されるスイス商業登記所において、スイス商業登記令(Handelsregisterverordnung:HRegV SR 221.411)に基づく厳格な登録手続きを完了させなければなりません。この手続きは、国際的な身元確認と文書認証のプロセスにおいて高度な専門性が要求されます。
新たに選任される取締役をスイス 商業登記に登録するためには、当該個人の身元を証明する公的な書類が不可欠です。これには、有効なパスポート、国民身分証明書、またはスイスの外国人滞在許可証の提示が含まれます。さらに、会社の代表者として登記される人物の署名は、単に書類にサインをするだけでは認められず、商業登記所の窓口で直接署名を行うか、あるいは公証人(Notar)によって公的に認証された署名見本を提出しなければなりません。
日本から派遣する役員や、スイス法人の親会社となる日本法人の代表者の署名が必要となる場合、日本国内の公証役場において署名認証を受け、さらに日本の外務省においてハーグ条約に基づくアポスティーユを取得する必要があります。日本はハーグ条約締約国であるため、日本で作成された公文書にはアポスティーユで足り、スイス大使館等による領事認証は不要です(HRegV第25条第1項)。非締約国で作成された公文書については、引き続き外交・領事認証が必要となります。また、提出書類の翻訳要否は書類の種類と言語によって異なります。定款・公正証書等の重要書類は言語を問わず外国語原本とドイツ語訳の双方提出が必要です(HRegV第20条第1項・第4項)。それ以外の書類(登記簿謄本等)については、フランス語・イタリア語・英語で記載されていれば翻訳不要とされます。日本語書類はラテン文字でないため書類種別を問わず翻訳が必要となります。翻訳はdiploma取得の通訳者・公証翻訳者等の資格者が、公的認証署名により原文との一致を証明したものに限り受理されます。
参考:チューリッヒ州商業登記所|外国会社支店新規登記申請書(Wordファイル)
法的住所の実態確保要件と金融機関による口座開設の壁
取締役の登録手続きと密接に関連するのが、スイス法人の物理的な所在地の確保という要件です。スイスの会社法および商業登記令では、すべての法人がスイス国内に法的な住所(Rechtsdomizil)を有することを義務付けています。この住所は、単なる私書箱であってはならず、法人が実際に郵便物や公的な通知を受け取ることができる機能を持つ物理的な場所でなければなりません。商業登記所は、住所の実態を確認するために、賃貸借契約書のコピーや、法人の名称が明記された看板の存在証明を求めることがあります。
自社で物理的なオフィスを賃貸しない場合、法律事務所や信託会社などの住所を気付として利用するドミサイル・サービスを活用することが一般的ですが、その場合には住所提供者との間で正式なドミサイル同意書を締結し、これをスイス商業登記所に提出する必要があります。スイスの税務当局や裁判所からの重要な法的文書は、すべてこの登記された住所に宛てて送達されます。
ここで再び極めて重要となるのが、スイス居住取締役の役割です。スイスの行政機関や金融機関は、法人の法的住所地において実際に連絡が取れ、コンプライアンス上の責任を負うことのできる居住役員の存在を前提として、法人に対する各種の認可や銀行口座の開設手続を進めます。取締役の居住者が確保されていない、あるいは法的住所の実態が疑わしいと判断された場合、スイスの銀行はマネーロンダリング防止法に基づく厳格な顧客身元確認の基準を満たせないとして、法人口座の開設を容赦なく拒否します。銀行口座が開設できなければ、会社設立に必要な資本金の払い込み手続きが完了せず、実質的にスイスにおけるビジネスの立ち上げそのものが頓挫することになります。
まとめ
本記事では、日本企業がスイスに進出する際に直面する「スイス居住取締役要件」の法的実務について、スイス債務法の規定、労働許可の取得難易度、スイス連邦最高裁判所の判例が示す名目上の役員の重い法的責任、そしてスイス商業登記所における厳格な登録実務という多角的な視点から詳述しました。少なくとも1名のスイス居住の代表権者の選任は、マネーロンダリング防止や法的責任の追及を確実にするためのスイスの強固な企業統治制度の中核をなす要件です。居住要件が撤廃された日本の現行法とは決定的に異なるこの制度に対し、安易に日本から役員を派遣しようとすれば就労ビザの壁に阻まれ、一方で現地のノミニー・ディレクターを活用すれば、意図せぬ連帯責任や組織的欠陥による強制解散という甚大なリスクを抱え込むことになります。
このような複雑かつ厳格なスイス法務の課題を解決し、適法かつ迅速にビジネスの基盤を確立するためには、現地の法令や商慣習、さらにはITなどの特定産業分野に精通した専門家による法務面での包括的なサポートが不可欠です。モノリス法律事務所は特にIT関連に専門性を有する法律事務所として、スイスの法律事務所Araucariaと強固に提携しており、現地における居住代表権者要件の適法な充足、ノミニー・ディレクターの活用に伴う法的リスクの適切な管理と契約構築、ビザ取得の戦略的助言、そしてスイス商業登記所における複雑な申請実務に至るまで、日本側とスイス側の双方からシームレスに対応することができます。グローバル展開における高度な法的要件を確実に満たし、安全な事業運営を実現するためにも、専門知識を備えた国際的な法務ネットワークの活用を強く推奨いたします。
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