スイス連邦労働法と「解雇の自由」:日本と異なる柔軟な雇用慣行の理解

スイス連邦労働法と「解雇の自由」:日本と異なる柔軟な雇用慣行の理解

欧州の中心に位置するスイスは、安定した政治経済環境と高度に発達したインフラストラクチャを背景に、数多くの多国籍企業が欧州統括拠点を置く極めて魅力的なビジネス環境を提供しています。スイスの労働市場における最大の競争力の一つは、高度な専門性を持つ人材の流動性を支える柔軟な雇用慣行にあります。特に日本の厳格な労働法制と比較した場合、雇用契約の終了に関する法的アプローチは根本的に異なります。日本の解雇規制に慣れ親しんだ企業が欧州圏で事業を展開する際、スイスにおける「解雇の自由」という基本原則と、それに伴う法的責任の境界線を正しく理解することは不可欠です。

本記事では、スイス労働法の根幹をなす解雇の自由と雇用契約の性質から出発し、企業側が必ず留意すべき強行法規である「濫用的解雇」の要件、病気や妊娠に伴う「ブロッキング期間」、さらには労働時間の法定上限などの詳細な法的枠組みについて、スイス政府の公式な法令情報およびスイス連邦最高裁判所の最新の判例に基づき、網羅的かつ実践的な視点から解説します。

スイス雇用契約の基本構造と解雇の自由の原則

スイスにおける雇用関係の基本原則は、私法の中核をなすスイス債務法(Obligationenrecht:OR、SR 220)によって規定されています。その最大の特徴は、契約自由の原則を労働市場にも色濃く反映させている点にあります。第335条は、期間の定めのない雇用契約について、労使のいずれの当事者からも自由に解除することができると規定しています。試用期間中は別途Art. 335bが7日間の短縮予告期間を定めています。これはスイス法における「解雇の自由(Kündigungsfreiheit)」の原則として広く知られており、スイスの労働市場に極めて高い柔軟性をもたらしている最大の要因です。

参考:fedlex(スイス連邦政府法令データベース)|SR 220 債務法(雇用契約編)

日本の労働契約法第16条が「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定めているのとは対照的に、スイスでは解雇を有効に成立させるために、あらかじめ客観的かつ合理的な理由が存在している必要はありません。スイス連邦最高裁判所も、スイスの労働法が解雇の自由の原則に基づいているため、解雇の適法性のために特別な理由は原則として不要であると繰り返し判示しています。雇用契約の解除は、相手方に対する一方的かつ受領を要する意思表示によって成立し、その意思表示が相手方に到達した時点で法的効力を発揮します。解雇された当事者が要求した場合に限り、解雇を行った当事者は書面でその理由を説明する義務を負いますが、この理由説明は解雇の有効性を左右する法的要件ではありません。

このように、日本の労働法制が「雇用の維持と労働者の地位の絶対的な保護」を中核的な価値観として構築されているのに対し、スイスの労働法制は「市場の流動性と契約の自由」を重んじています。労働市場全体が流動的であるため、企業は経済状況や事業戦略の変更に合わせて人員配置を機動的に見直すことができ、同時に労働者側もより良い条件を求めて容易に転職できます。しかしながら、この解雇の自由は決して無制限なものではなく、法治国家としてのスイスは、特定の状況下における解雇を厳しく制限する強行法規を設けています。企業は、この「自由」の裏側に潜む法的リスクと、適用される厳格な手続き要件を正確に把握しておく必要があります。

日本の労働法制とスイスの決定的な法的枠組みの違い

日本の労働法制とスイスの決定的な法的枠組みの違い

スイスで事業を展開する日本企業が直面する最も大きなパラダイムシフトは、解雇をめぐる法的紛争が生じた際の「救済措置」の根本的な違いにあります。日本の労働事件において解雇権の濫用が認められた場合、その解雇は初めから無効であったとみなされ、雇用関係が継続していることを前提とした職場復帰および未払い賃金(バックペイ)の支払いが命じられます。これに対し、スイス法の下では、たとえ後述する「濫用的解雇(missbräuchliche Kündigung)」に該当すると判断された場合であっても、解雇そのものの法的効力は原則として覆りません。

スイス債務法は、違法または不当な動機による解雇であっても、所定の予告期間を経過すれば雇用契約は確実に終了するというアプローチを採っています。その代わり、権利を濫用して不当な解雇を行った雇用主には、労働者に対する懲罰的・慰謝料的性質を持つ高額な補償金の支払いが命じられます。これにより、企業側は「解雇が無効となり、多額のバックペイを支払いつつ職場への復帰を受け入れる」という日本の実務における最大のリスクを免れることができます。スイスにおいて雇用関係の解消は常に可能ですが、不適切な手続きや違法な動機に基づく解消には、財務的な代償が伴います。

比較項目日本の労働法制労働契約法等)スイスの労働法制スイス債務法)
解雇の基本原則解雇制限の法理合理的な理由が必要)解雇の自由特別な理由は原則不要)
雇用契約の終了要件客観的合理性と社会通念上の相当性法定または契約上の予告期間の遵守
権利濫用時の法的効果解雇は無効となり、雇用関係が存続する解雇は有効だが、金銭的補償の対象となる
主な司法的救済措置職場復帰および未払い賃金バックペイ)の支払い最大で月給の6ヶ月分に相当する補償金の支払い
法的保護の対象と範囲全ての労働者に対し一律に厳格な保護を適用妊娠中、病気、兵役中などの特定の期間に限定して保護

この比較表から明らかなように、スイスの法的枠組みは、雇用関係の修復が困難になった当事者に対して、金銭的な解決を通じた明確な関係の断絶を促進する設計となっています。事業運営の観点からは、紛争の長期化に伴う職場環境の悪化を防ぎ、法的コストの見通しを立てやすいという明確な利点があります。しかし、これは決して企業側が恣意的な解雇を無制約に行えることを意味するものではなく、次節で述べる通り、法が定める不当な動機に基づく解雇には極めて厳しい制裁が用意されています。

濫用的解雇の定義とスイス労働法による制約

スイスでは解雇の自由が広く認められていますが、スイス債務法第336条は「濫用的解雇(missbräuchliche Kündigung)」に関する詳細な規定を置き、この自由に対する強力な歯止めとして機能しています。解雇権の行使が法令で定められた不当な目的に基づく場合、その解雇は濫用的であるとみなされ、雇用主は重い賠償責任を負うことになります。

スイス債務法第336条第1項は、(1)相手方の人格に付随する属性(国籍、人種、年齢、性別、性的指向、宗教など)を理由とする解雇、(2)相手方が憲法上の権利を行使したことを理由とする解雇、(3)雇用関係上の正当な請求権の行使を妨げることのみを目的とする解雇、(4)雇用関係の存続期間に依存する請求権の発生を阻止することのみを目的とする解雇、(5)軍役・民間防衛役・代替民間役務の遂行を理由とする解雇などを禁止しています。さらに第2項は、使用者に固有の規制として、労働者代表機関の役員への立候補・就任・活動を理由とする解雇を禁止しています。

濫用的解雇に関する公式な条文は、スイス連邦政府のFedlexにて確認できます。

参考:fedlex(スイス連邦政府法令データベース)|SR 220 債務法 Art. 336 濫用的解雇

実務上極めて重要なのは、スイス債務法第336条に列挙されている事由が限定的なものではないという点です。スイス連邦最高裁判所の確立された判例によれば、同条はスイス民法第2条第2項に規定される一般的な「権利濫用の禁止」原則を労働法分野において具体化したものであり、明記された事由と同等の重大性を持つ他の事由に基づく解雇も、同様に濫用的と判断されます。例えば、雇用主が解雇のプロセスにおいて、信義則に著しく反する「偽りの隠されたゲーム(falsches und verdecktes Spiel)」を行った場合や、労働者の利益と雇用主の利益との間に極端な不均衡が存在する場合も、解雇が濫用的であると認定される法的根拠となります。

また、労働条件の変更を目的とした「変更解約告知(Änderungskündigung)」についても慎重な取り扱いが求められます。スイス連邦最高裁判所が1997年に下した判決(BGE 123 III 246)において、使用者が月額500フランの賃金削減に応じなかった労働者に対して変更解約告知を行った事案が争われました。裁判所は、変更解約告知自体は必ずしも濫用的ではないとしつつも、本件では使用者が労働者の賃金請求権の行使を封じる目的で解雇を行ったと認定し、Art. 336 Abs. 1 lit. d(雇用関係の存続期間に依存する請求権の発生阻止を目的とする解雇)に該当すると判示しました。

解雇が濫用的であると認定された場合、スイス債務法第336a条に基づき、雇用主は労働者に対して最大で月給の6ヶ月分に相当する補償金を支払う義務を負います(ただし、労働者代表機関への参加を理由とする解雇の場合は上限が2ヶ月分となります)。この補償金は、労働者が被った経済的損失を補填する損害賠償としての性質と、雇用主の違法行為に対する懲罰的・慰謝料的な性質の両方を兼ね備えています。補償金の具体的な金額は、違反の重大性、労働者の勤続年数、当事者双方の経済的状況などを総合的に考慮して裁判所が決定します。解雇が濫用的であると主張する労働者は、雇用期間が終了するまでの予告期間内に雇用主に対して書面で異議を申し立てる必要があり、当事者間で合意に達しない場合は、雇用関係の終了から180日以内に裁判所に訴えを提起しなければならないという厳格な手続き要件が定められています。

スイス連邦最高裁判所の判例に基づく高齢労働者の保護と解雇実務

スイス連邦最高裁判所の判例に基づく高齢労働者の保護と解雇実務

スイス労働法の実務において最も高度な法的判断と慎重な対応を要するのは、長期間勤務した高齢の労働者に対する解雇です。スイス連邦最高裁判所は、一連の判決を通じて、雇用主が高齢かつ長期勤続の労働者に対して負う「高度な保護義務(erhöhte Fürsorgepflicht)」という法理を確立しており、これに反する拙速な解雇手続きは濫用的であると極めて厳しく判断しています。以下では、この法理に関する二つの重要な連邦最高裁判所判決を解説します。

最初の重要な判例は、2005年12月20日に下されたスイス連邦最高裁判所判決(BGE 132 III 115)です。この事案において、原告のX.は暖房配管工として1958年から被告企業A. AGで中断することなく継続して働いていました。X.は45年の勤続を満了する予定であった2003年5月末、すなわち年金受給年齢に達するわずか4ヶ月前に退職する意向でした。しかし、被告企業はX.の勤続44年目が終了する直前の2002年4月25日、X.に対して即時の一時帰休を伴う解雇通知を行いました。原告が解雇の理由を求めたところ、被告企業は「新しいプロジェクトへの否定的な態度が上司・他の従業員の意欲を著しく低下させている」「業績評価の低さ」「労働時間規制への反対態度」などを理由として挙げました。

スイス連邦最高裁判所は、この事案において雇用主がスイス債務法第328条に規定される保護義務(Fürsorgepflicht)を著しく逸脱したと判断しました。判決では、44年間にわたり問題なく勤務した従業員に対し、定年数ヶ月前に事業上の必要性もなく代替的解決策を模索することなく解雇することは、雇用主の保護義務(OR第328条)に著しく違反し、また権利濫用禁止の一般原則(民法第2条)に照らしても、当事者双方の利益に著しい不均衡をもたらす解雇権の行使として濫用に該当すると判示されました。裁判所は、被告の義務違反の重大さと、解雇が原告に与えた深刻な経済的および精神的影響を考慮し、スイス債務法第336a条に基づく最高額である6ヶ月分の給与相当額の補償金の支払いを命じました。

参考:BGer(スイス連邦最高裁判所)|BGE 132 III 115(4C.215/2005)判決全文

この「高齢かつ長期勤続の労働者に対する高度な保護義務」の法理は、その後の判例においても一貫して維持されています。2023年5月15日付スイス連邦最高裁判所判決(4A_117/2023)では、約30年間勤務し当時64歳の労働者が年金受給の約11か月前に解雇された事案が争われました。第一審および第二審(チューリッヒ州上級裁判所)はいずれも解雇を濫用的と認定し、使用者が連邦最高裁判所に上告していました。

連邦最高裁判所は、BGE 132 III 115の原則を再確認しつつも、事前通知・ヒアリング・代替案模索がすべての解雇において一般的な義務となるわけではないことを明示しました。ただし、本件の具体的状況(約30年の勤続、64歳、年金受給まで約11か月)においては、使用者に高度な保護義務(erhöhte Fürsorgepflicht)が生じており、これらの手続きを踏まずに解雇したことが「解雇の態様」における濫用に当たると判断しました。連邦最高裁判所は使用者の上告を棄却し、解雇が濫用的であったとして4.5か月分の給与相当額(CHF 27,430)の補償を命じた原審の判決を維持しました。

参考:BGer(スイス連邦最高裁判所)|4A_117/2023(2023.05.15)判決全文

これらの判例から抽出される重要な教訓は、スイスにおける「解雇の自由」は決して雇用主の恣意的な行動を正当化するものではないということです。特に、50代後半以上の高齢で、かつ10年以上の長期間にわたり企業に貢献してきた従業員を解雇する場合、経営陣は単に契約上の予告期間を守るだけでは不十分です。人事部門を通じて、事前に複数回の面談を実施し、業務改善の機会を提供し、配置転換の可能性を客観的に検証したというプロセスを詳細に文書化し、客観的な証拠として残す緻密な手続き構築が不可欠となります。

スイス労働法のブロッキング期間による解雇の絶対的無効と保護の枠組み

スイス労働法には、濫用的解雇に対する事後的な金銭補償の制度に加えて、特定の事由が存在する期間中の解雇そのものを法的に無効とする「ブロッキング期間(Sperrfrist)」という極めて強力な労働者保護制度が存在します。スイス債務法第336c条に規定されるこの制度は、労働者が自らの過失によらずに労働力を提供できず、かつ新たな就職が困難な時期において、雇用主からの解雇を全面的に禁止する強行法規です。

スイス債務法第336c条第1項に基づき、試用期間が終了した後、雇用主は以下の期間中において雇用関係を終了させることができません。第一に、労働者がスイスの義務的な軍役、民間防衛役、または代替的な民間役務に従事している期間です。さらに、その役務が11日間を超える場合には、役務開始前の4週間および終了後の4週間もブロッキング期間の対象となります。第二に、労働者が自らの過失によらず、病気または事故によって部分的あるいは全面的に就労が妨げられている期間です。日本の労働基準法第19条が業務上災害による療養期間のみを解雇制限の対象としているのとは異なり、スイスの労働法では、業務外の私傷病であってもブロッキング期間の対象となります。第三に、女性労働者の妊娠中および出産後の16週間です。なお、2021年改正により、出産後の入院延長に伴う休業期間中、他方の親の育児休業期間中(最大3か月)、介護休業取得中(最大6か月)なども解雇禁止期間(ブロッキング期間)として追加されています。

このブロッキング期間に関する規定は、スイス連邦政府のFedlexにて確認できます。

参考:fedlex(スイス連邦政府法令データベース)|SR 220 債務法 Art. 336c ブロッキング期間

病気や事故によるブロッキング期間は、勤続年数に応じて段階的に延長されます。第1勤続年度は30日間、第2勤続年度から第5勤続年度の終了まで(2年目以降5年目末まで)は90日間、第6勤続年度以降は180日間にわたり、病気欠勤中の労働者への解雇通知は無効となります。企業が理解しておくべき法的な帰結は、このブロッキング期間中に雇用主が発した解雇通知は「無効(nichtig)」となるという点です。無効となった解雇通知は法的な効力を一切持たないため、ブロッキング期間が終了した後に雇用契約を終了させるためには、雇用主は改めて一から解雇通知を出し直す必要があります。

さらに実務上複雑であり、外国企業が頻繁に陥る法的トラップとなるのが、雇用主が正当な解雇通知を行った「後」に、労働者が病気になったり事故に遭ったりしてブロッキング期間の要件を満たした場合の取り扱いです。スイス債務法第336c条第2項の規定により、この場合、進行中であった解雇の予告期間は一時的に中断(サスペンド)され、ブロッキング期間が経過した後にのみ、予告期間の残りの日数の計算が再開されます。さらに、解雇の効力発生日は通常、月の月末などの特定の期日に設定されるため、予告期間の満了日が期日と一致しない場合には、次の期日まで雇用契約が自動的に延長されることになります。

この制度により、解雇を通知された従業員が直後に精神的ストレスなどを理由に医師の診断書を提出して長期の病気欠勤に入り、雇用関係の終了が数ヶ月にわたって遅延するという事態が、スイスのビジネス実務において頻繁に発生します。日本企業は、解雇の実行スケジュールを策定する際、このブロッキング期間による想定外の雇用延長とそれに伴う給与支払い義務のリスクをあらかじめ予算に組み込んでおく必要があります。

スイス労働法に基づく労働時間の法定上限とコンプライアンス要件

スイス労働法に基づく労働時間の法定上限とコンプライアンス要件

スイスにおける労働条件の保護は、当事者間の契約を規律する私法である「債務法」だけでなく、労働者の健康と安全を保護するための公法である「労働法(Arbeitsgesetz:ArG)」によっても厳格に規定されています。特に労働時間に関する規制は、違反した場合に行政当局からの指導や罰則の対象となるため、スイスで現地法人を運営する企業にとって極めて重要なコンプライアンス要件となります。

日本の労働基準法は週40時間を法定労働時間の上限とし、超過労働には労使協定(いわゆる36協定)の締結を要します。スイス労働法はこれとは異なり、業種や職種に応じて法定労働時間の上限が二段階に設定されています。

適用対象となる労働者のカテゴリー法定労働時間の上限(週あたり)
工業企業の労働者、事務職員、技術職員、および大規模小売店の販売職員週45時間
上記以外の全ての労働者(小規模店舗の販売員、飲食業・建設業の労働者など)週50時間

この週45時間または50時間という法定労働時間は、いかなる場合でも自由に超過できるものではありません。スイス労働法の規定によれば、特定の事業所・労働者グループについては、政令(Verordnung)による定めがある場合、またはSECO(国家経済事務局)がやむを得ない理由があると認めて個別に許可した場合に限り、法定労働時間を最大4時間まで延長することができます。ただし、いずれの場合も年間平均では法定の上限を超えてはなりません。

労働者の休息権を保護するための強行法規も詳細に定められています。日次については1日最低11時間の連続休息が義務づけられており(ArG Art. 15a)、週次休日(原則日曜日)と日次休息を合算した35時間以上の連続休息も確保しなければなりません(ArGV 1 Art. 21 Abs. 2)。労働者の過度な疲労蓄積を防ぐための厳格なインターバル規制が機能しています。

深夜労働や夜間労働に関する規制も、スイスの労働法において非常に厳しく管理されています。スイス労働法では、原則として「夜間労働(Nachtarbeit)」は許可制とされており(ArG第16条・17条)、夜間とは同法第10条が定める日中・夕方労働時間帯(6時〜23時)以外の時間帯を指します。深夜0時から午前5時までの時間帯については特に厳格な規制が適用されます。詳細な要件は業種・職種ごとに施行令(ArGV)で定められており、現地での確認が必要です。

参考:fedlex(スイス連邦政府法令データベース)|SR 822.11 労働法(Arbeitsgesetz:ArG)

日本から赴任した現地法人の責任者がしばしば陥る罠は、スイスの「解雇の自由」という柔軟なイメージから、労働時間管理についても寛容であると誤解してしまうことです。実際には、スイス労働法に基づく労働監督局の監査は極めて厳格であり、労働時間の過少記録や休息時間の未確保に対しては厳しい是正勧告が行われます。したがって、企業は現地の法規制に完全に準拠した勤怠管理システムを導入し、特に裁量労働に近い働き方をする管理層に対しても適切な労働時間のモニタリングを実施する体制を構築することが急務となります。

スイスでの事業展開に向けた実務的対応と法務戦略

スイスにおける労働紛争、とりわけ解雇をめぐる法的トラブルを未然に防ぎ、あるいは訴訟となった場合でも企業側の正当性を立証するためには、平時からの周到な人事労務管理が不可欠です。本稿で解説してきたように、スイス連邦最高裁判所の判例が示す通り、法的に保護されるべき高齢労働者や長期勤続者に対して、十分な協議を経ずに唐突な解雇通知を行うことは最大の法的リスクとなります。

企業は、業績不良や勤務態度の悪化を理由として解雇を検討する場合、即座に解雇通知書を作成するのではなく、まずは口頭および書面によるフィードバックの機会を設けなければなりません。業務改善計画を提示し、具体的な目標と期限を設定して労働者に改善の機会を与えることが、雇用主の保護義務を果たす第一歩となります。この過程で実施された面談の記録、提供した指導の内容、および労働者の反応は、文書化して労使双方が署名した記録として人事ファイルに保管しておく必要があります。

特に、勤務年数が10年以上におよび、年齢が50代後半を超える従業員の取り扱いについては、現地法人のトップマネジメントレベルでの慎重な判断が求められます。業務上の理由で人員削減が避けられない場合であっても、一方的な解雇通知を行う前に、他の部門への配置転換の可能性を客観的に検討し、さらには早期退職に伴う割増退職金の提示など、当事者間の合意に基づく退職(Aufhebungsvertrag:雇用終了合意書)を模索するプロセスを踏むことが実務上強く推奨されます。BGE 132 III 115判決や4A_117/2023判決が示す通り、企業側が「代替案の模索」や「事前協議」を実施したという客観的な証拠こそが、濫用的解雇の認定を回避するうえで最も重要な防壁となるからです。

また、解雇を実行するタイミングの選定についても、ブロッキング期間の法理を熟知した上での戦略的なアプローチが必要です。解雇通知は相手方に到達して初めて効力を生じるため、従業員が病気欠勤に入るリスクが高まった状況では、手交または書留郵便による確実な通知手段を選択し、法的な通知日を明確に確定させる実務的配慮が求められます。

まとめ

本稿で詳細に解説してきたように、スイス労働法の最大の特徴である「解雇の自由」は、日本企業にとって事業運営の柔軟性を高める制度的環境であると同時に、その行使の境界線を誤れば、濫用的解雇に基づく高額な金銭的補償や、ブロッキング期間による予期せぬ雇用関係の長期化といった重大な法的リスクをもたらす複雑な制度です。日本の労働法制における「労働者の地位の絶対的保護」という概念から脱却し、スイス特有の「契約の自由と厳格な手続き要件のバランス」という全く異なる法理を組織全体で正確に理解することが、欧州ビジネスを成功に導くための必須条件となります。特に、高齢労働者に対する高度な保護義務を定めた連邦最高裁判所の判例や、週45時間または50時間を上限とする厳密な労働時間規制といった強行法規に対しては、日本国内の常識をそのまま持ち込むことは極めて危険であり、現地の法制に完全に適合した人事労務ポリシーの策定と運用が不可欠です。

こうした複雑な現地法令への対応や、実際に解雇や雇用契約の終了合意を進める際の適切なプロセス構築に関して、モノリス法律事務所は、提携先であるスイスの現地法律事務所Araucariaと緊密に連携し、日本企業の皆様に最高水準のリーガルサポートを提供しています。現地の労働法制や最新の判例動向に精通したAraucariaの専門知識と、日本企業の企業文化や意思決定プロセスを深く理解するモノリス法律事務所のノウハウを融合させることで、事前の雇用契約書のレビューから、労働紛争発生時の現地での法的手続きの代理、さらには労働監督局への対応に至るまで、スイスにおけるビジネス展開に必要なあらゆる法的要件を網羅的にカバーする一貫したサポート体制を構築しております。欧州圏での安全かつ戦略的な事業成長を実現するために、ぜひ両事務所の専門家による確かな法的支援をご活用ください。

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