ソフトウェア製品の「スイスメイド」表示:60%コストルールの計算実務
グローバル市場において「スイス」という原産地呼称は単なる地理的な出所を示すにとどまらず、高品質、堅牢なセキュリティ、卓越したプライバシー保護、そして革新性の象徴として機能しています。近年では時計や精密機械だけでなく、IT製品やソフトウェア製品においても「Swiss Made(スイスメイド)」というラベルが強力なブランド価値を生み出しています。しかし、ソフトウェア製品にスイスの十字ロゴやスイスメイドのラベルを冠するためには厳格に定められた法的要件をクリアしなければなりません。スイスでは「スイスネス法」と呼ばれる強力な法体系が整備されており、産地表示規制に違反した場合には深刻なブランド毀損や刑事罰のリスクが生じます。
本記事では、IT製品がスイスメイドを名乗るための核心となる要件、特に開発コストの60%以上がスイス国内で発生していることを求める「60%コストルール」の計算実務から、不当表示リスクを回避するための法的アプローチまでを網羅的に解説します。
スイスメイドソフトウェアを規律する産地表示規制の全体像
スイスの産地表示規制は2017年1月1日に施行された通称「スイスネス法」によって抜本的に強化されました。この法改正の核心は、スイス連邦商標・原産地表示保護法(Markenschutzgesetz、以下「商標保護法」)の改正にあります。スイスネス法はスイスブランドの価値が世界中で高まるにつれて増加したフリーライダー(ただ乗り)や不当表示を防ぎ、長期的なブランド価値を保全することを目的としています。
商標保護法では製品を自然産物、農産物・食品、工業製品、サービスの4つのカテゴリーに分類し、それぞれに異なる原産地基準を設けています。ソフトウェアやITシステム、電子機器などのテクノロジー製品は商標保護法第48c条に定める「その他の製品、特に工業製品」に分類されると解されており、60%コストルールの適用を受けます。(なお、同条の条文上ソフトウェアの明示はなく、この分類はIGE(スイス連邦知的所有権庁)の実務解釈に基づきます。)ソフトウェア製品に対してスイスの原産地表示を用いるためには、単にスイス国内に法人が存在するというだけでは不十分であり、開発にかかる製造コストの一定割合をスイス国内で負担し、かつ開発における最も重要な工程をスイスで実施しているという実体を客観的な数値と事実で証明する必要があります。
参考:fedlex(スイス連邦政府法令データベース)|SR 232.11 商標保護法(MSchG)
スイスのソフトウェア開発における60%コストルールの計算実務

商標保護法第48c条に基づく「60%コストルール」は、ソフトウェア開発におけるスイスメイド要件の最大のハードルとなります。このルールは、ソフトウェアの開発からリリースに至るまでの全製造コストのうち、少なくとも60%がスイス国内で生じていることを求めています。スイスは世界的に見ても人件費が高い国であるため、この基準を満たすためには開発体制の戦略的な構築が不可欠です。
ソフトウェア開発におけるコスト計算はハードウェアの製造とは異なり、原材料費よりも人件費が大部分を占めます。IGEおよび関連法規によれば、60%の計算に含めることができる適格費用と、除外しなければならない費用が厳密に区別されています。
| コストの分類 | ソフトウェア開発における具体的な取り扱い |
| 研究開発(R&D)費用 | プロダクトデザイン、要件定義、アルゴリズム設計、プロトタイピング等にかかる費用は製造コストとして計算に含めることができます。スイス国内のエンジニアによるR&Dは計算上大きなメリットとなります。 |
| 直接製造費用(人件費) | スイス国内で製造工程に従事する人員の人件費は、雇用形態にかかわらず製造コストとして60%計算に算入されます(MSchV第52l条第2項は「賃金(die Löhne)」を明示)。スイス国内を拠点とするソフトウェアエンジニア、プログラマ、アーキテクトに支払われる給与が該当します。 |
| 品質保証および認証費用 | 法令で義務付けられている、あるいは業界標準として統一された品質保証(QA)テスト、セキュリティ監査、ISO認証等の取得にかかる費用が含まれます。 |
| 除外される非製造費用 | 製品完成後に生じるマーケティング費用、営業費用、カスタマーサポート費用、流通コスト等は、全体の製造コストの計算から除外しなければなりません。 |
外部のオープンソースソフトウェア(OSS)の統合にかかる労力や、海外ベンダーからのAPI利用料など、海外で発生したコストは非スイスコストとして全体コストの分母には含まれますが、スイス国内での60%分(分子)には算入できません。この精緻な原価計算は税務上の会計とは異なる視点で行う必要があり、ソフトウェアのバージョンアップやアジャイル開発の過程においても常に60%の要件を維持していることを客観的なデータで追跡し文書化する体制が求められます。
参考:IGE(スイス連邦知的所有権庁)|工業製品の原産地判定基準
スイスメイド製品に本質的な特徴を与える最も重要な製造工程の要件
コストの要件を満たしたとしても、製品に本質的な特徴を与える最も重要な製造工程がスイス国内で行われていなければスイスメイドを名乗ることはできません。ソフトウェアにおける本質的な製造工程とは、単なる最終的なコードのコンパイルや、外国で開発されたモジュールのパッケージングを指すのではありません。通常はソフトウェアのアーキテクチャ設計、コアとなるアルゴリズムの実装、あるいは主要なデータ処理ロジックのコーディングといった製品の中核となる知的作業がスイス国内で実施されている必要があります。
海外のオフショア開発拠点で大部分のコーディングを行い、スイス国内ではコードのレビューとデプロイメントのみを行っているようなケースでは、この重要な製造工程の要件を満たさないと判断される可能性が高くなります。どの工程が自社ソフトウェアの本質的価値を決定づけているかを明確に定義したうえで、その工程がスイスの拠点で行われていることを開発ドキュメントやソースコードのコミット履歴などで証明できる体制を整えておく必要があります。
クラウドサービスとSaaSにおけるスイスメイド要件の適用

パッケージソフトウェアの販売だけでなく、SaaS(Software as a Service)としての提供やクラウドホスティングサービスの展開も一般的となっています。提供するものが工業製品ではなくサービスとして分類される場合、適用される法令の条文が異なります。
商標保護法第49条によれば、サービスに対してスイスの原産地表示を用いるためには、その企業の本店がスイス国内にあり、かつ企業の実質的な行政的・経営的管理がスイス国内で行われている必要があります。これは税金対策や名義貸しのためだけにスイスにペーパーカンパニーを設立し、実質的な事業運営やサービスの運用を海外で行っている企業が「Swiss Hosting」や「Swiss Digital Services」といった表示を用いることを禁じるものです。実質的な管理とは、重要な経営判断がスイス国内で下され相応の人員とインフラがスイス国内に実在していることを意味します。
スイスの産地表示規制と日本の法律との決定的な違い
欧州圏でビジネスを展開する日本企業にとって、日本の法律とスイスの法律における産地表示規制の構造的な違いを理解することはコンプライアンス上の重要な考慮点です。
日本の産地偽装の主たる規制根拠は不正競争防止法第2条第1項第20号(原産地等誤認惹起行為)であり、これに景品表示法第5条第3号に基づく告示「商品の原産国に関する不当な表示」(昭和48年公正取引委員会告示第34号)が補完的に機能します。なお景品表示法の優良誤認表示(第5条第1号)は品質等の優良性に関する誤認を対象とするものであり、産地表示の直接的な根拠ではありません。原産国の判定は告示が定める「商品の内容について実質的な変更をもたらす行為が行われた国」という質的基準によって行われます。日本には、スイスの60%ルールのように「開発コストの一定割合が国内で発生していること」を求める数値基準は存在せず、原価率(量的基準)ではなく実質的変更・誤認惹起の有無(質的基準)で規律されています。
これに対し、スイス法は前述の通り「60%」という具体的なコスト割合を法律の条文レベルで明記し、さらに適格となる費用の計算方法まで法令等で詳細に規定しているという特殊かつ厳格な構造です。日本の法律が消費者を誤認させるか否かという定性的な評価に重きを置く傾向があるのに対し、スイスの法律は法定された原価計算のパーセンテージと知的な製造工程の所在という定量化された厳密なハードルを設定しています。したがって日本企業が自社の感覚で「本社がスイスにあるから」という理由のみでスイスメイドを名乗ることは、スイス法においては法令違反とみなされる危険性が高くなります。
スイスメイドの不当表示による刑事罰とブランド毀損のリスク

スイスネス法に基づく基準を満たさずに「スイスメイド」やスイスの国旗を製品やウェブサイトに表示することは、消費者や取引先を欺く違法行為となります。商標保護法第64条(不適正な産地表示の使用)および紋章保護法第28条(公的記号の不正使用)はそれぞれ独立して刑事罰を規定しており、商業的不正使用に対してはいずれも最高5年の自由刑または最高540,000スイスフランの日数罰金が科される可能性があります(スイス刑法第34条:最大180日分×1日3,000フラン)。
さらに刑事罰以上に深刻なのが、当局からの差止請求やレピュテーションの失墜によるブランド毀損です。IGEや業界団体はスイス国内だけでなく世界中の市場を監視しており、要件を満たさない外国企業に対しても警告書の送付や民事訴訟の提起を積極的に行っています。2025年8月、IGEはベルン州商事裁判所でのスイスネス訴訟で初の勝訴を果たしました。
まとめ
ソフトウェア製品やITサービスにおいて「Swiss Made」のラベルを獲得し法的に維持するためには、スイス商標保護法が定める60%コストルールの厳密な計算と、スイス国内での本質的な製造工程の実体証明が必要です。クラウドサービスやSaaSとして提供する場合には、単なるペーパーカンパニーではない実質的な経営拠点の存在が司法の場でも問われます。不当表示が発覚した際の刑事罰やブランド毀損のリスクは甚大であり、法的に保護されたスイスブランドの恩恵を安全に享受するためには現地の法令に則った精緻なプロジェクト原価管理と法務コンプライアンスの徹底が不可欠です。
モノリス法律事務所ではITやソフトウェア関連分野に特化した高度な専門性を活かし、現地の法令や商慣習に精通したスイスの法律事務所Araucariaと提携してスイスをはじめとする欧州圏でのビジネス展開を包括的にサポートしています。60%コストルールを満たすための開発体制の法的レビューや、実体要件を満たす現地法人の設立と運営に関する適法性評価、さらにはスイス当局からの不測の指摘を防ぐためのコンプライアンス体制の構築について、複雑な法的課題を現地法律事務所と連携して解決へと導きます。グローバルなITビジネス戦略において、スイスブランドの価値を最大限に活用するための法的基盤づくりに貢献いたします。
河瀬 季
Toki Kawase
IT企業経営の経験を持つエンジニア出身の弁護士。東大院修了後、モノリス法律事務所を開設。上場企業からスタートアップまで顧問弁護士やCLOとして経営を支援する。特にスイス法務に精通し、専門チームを率いて現地法人設立から労務、知財戦略分野で日本企業のスイス進出を多角的にサポートしている。
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