ファミリーガバナンスと家族憲章:スイスで一族の資産を次世代に繋ぐ方法

ファミリーガバナンスと家族憲章:スイスで一族の資産を次世代に繋ぐ方法

スイスをはじめとする欧州圏でビジネスを展開し、あるいは将来的な進出や高度な資産運用を検討している日本企業にとって、一族の理念や承継ルールを明文化する「家族憲章」の役割は大きく、その法的な位置づけを正確に理解することが不可欠です。スイスは強固な法治主義と経済的安定性を背景に、世界中から資産が集まる金融とビジネスの中心地ですが、現地の複雑な法制度を正確に理解しなければ、世代を超えた円滑な資産承継や事業存続は困難となります。

本記事では、スイスに資産を置く投資家や国際事業を担う方々に向けて、家族憲章の果たす役割とその法的限界を解説します。家族憲章に法的拘束力を持たせるための株主間合意・信託・財団の組み合わせ方と、最新の法改正・判例を踏まえた紛争予防のアプローチを体系的に整理します。

スイスにおけるビジネス環境と資産承継の実態

スイスにおけるファミリーガバナンスの重要性を理解するためには、まず現地のビジネス環境において、事業承継と資産承継がいかに深刻な課題となっているかを把握する必要があります。スイス経済を支えるのは多数の中小企業ですが、創業世代の高齢化に伴い、次世代への円滑な移行が国家的なテーマとなっています。スイス中小企業の後継者問題に関する調査によれば、後継者を見つけることができずに消滅するスイスの中小企業はほぼ3社に1社にのぼります。

一方で、既存の事業を承継することは、ゼロから事業を創設するよりもはるかに成功率が高いというデータも存在します。承継された企業の5年後の生存率は95%に達するのに対し、新規に設立された企業の生存率はわずか50%にとどまります。この統計は、事業承継が経済的に合理的な選択であることを示しています。

参考:Stiftung KMU Next(KMUネクスト財団)|中小企業の事業承継に関する統計・調査レポート

また事業承継の形態について、同報告書は以下の通りの実態を明らかにしています。

後継者と前経営者の関係性割合
娘または息子(直系卑属)42%
その他の親族関係11%
従業員または経営陣のパートナー23%
ビジネス上の関係(取引先・競合など)3%
上記のいずれでもない21%
表:後継者と前経営者の関係性別・事業承継の割合(Stiftung KMU Next調査)

このデータが示す通り、事業承継の圧倒的多数は一族内で行われています。しかしながら、データ収集企業であるダンアンドブラッドストリートの調査によれば、2024年時点でスイス国内の約101,427社が後継者を探している状態にあり、特に従業員10人から49人規模の小規模企業において事業承継問題が深刻化しています。このような背景から、親族間での利害対立を防ぎ事業の継続性を確保するための枠組みとして、ファミリーガバナンスと家族憲章への関心が高まっています。

資産承継を導くスイス家族憲章の役割と法的限界

資産承継を導くスイス家族憲章の役割と法的限界

ファミリーガバナンスの中核を成す家族憲章とは、一族の価値観や事業への理念、将来のビジョン、資産および経営権の承継に関する基本的なルールを明文化した文書です。世代交代が進むにつれて一族内の利害関係は複雑化し、事業の方向性や利益配分を巡る対立が生じやすくなります。家族憲章は、このような将来の紛争を未然に防ぎ、一族の結束を維持するための精神的な支柱として機能します。

しかし法的な観点から厳密に分析すると、スイス法下において家族憲章それ自体はあくまで一族内の紳士協定や道徳的な指針にとどまり、直接的な法的拘束力を持つものではありません。日本の法律体系と同様に、スイス法においても、単に理念を書き連ねた文書のみをもってして会社法上の議決権行使や民法上の財産移転を強制することは不可能です。スイス連邦債務法(以下「OR」)第11条は、法律が特別の方式を定める場合を除き、契約の成立に特別な方式を要求していません。家族憲章に法的拘束力を持たせるためには、当事者間の明確な権利義務関係の合意が必要であり、後日の証明のためにも書面化しておくことが望ましいといえます。

したがって、スイスで確実な資産承継を実現するためには、家族憲章に定められた理念を法的拘束力を持つ具体的なスキームへと落とし込む作業が必須となります。

株主間合意を通じたファミリーガバナンスの法的担保と判例の動向

家族憲章に記載された事業承継のルールや経営関与の方針を法的に担保する手段として最も実効性が高いのが、株主間合意の締結です。日本の会社法下でも株主間合意(株主間契約)は広く利用されていますが、日本の場合は定款自治の範囲内で種類株式などを活用した構造的なガバナンス設計が行われることが多く、株主間契約はそれを補完する役割を担う傾向があります。日本の会社法第27条では、会社の目的や商号、ならびに本店の所在地や発起人の氏名等を定款の絶対的記載事項として定めており、定款を通じたガバナンスの規律が重視されます。

一方スイスでは、非公開の同族企業において定款には詳細を記載せず、非公開の株主間合意によって内部の厳格な規律を定める手法が実務上広く用いられます。スイスの法律において株主間合意は、ORにおける独立した典型契約としては規定されておらず、複数の株主が共同の目的(議決権の拘束や株式譲渡の制限など)を達成するために結びつく「単純組合」に関する規定(OR第530条以下)が適用されるのが一般的です。単純組合は法人格を持たないものの、組合員間における強力な権利義務関係を構築でき、株主間合意を通じて特定の事象が発生した際に株式を他の親族に強制的に売却させる義務などを規定し、一族外への株式流出を強固に防ぐことができます。

ただし、スイスにおける株主間合意の運用にはスイス特有の法的限界が存在します。スイス民法(以下「ZGB」)第27条は、個人の自由を過度に制限する契約を無効としています。株主間合意において、無期限かつ解約不能な形で株主の経済的自由を制約する条項を設けた場合、この「過度な拘束」に該当し、契約全体あるいは一部が無効と判断されるリスクがあります。

この点に関してスイス連邦最高裁判所は、ファミリーガバナンスの法的限界を示す重要な判断を下しています。ある同族企業において、経営に関与しない世代の株主に対して会社から過大な配当を義務付け、さらに株式の譲渡を厳しく制限した無期限の株主間合意が争われた事案です。株主間合意(Aktionärbindungsvertrag)がZGB第27条第2項に違反する「過度な拘束」に当たるか否かについて、スイス連邦最高裁判所(2017年6月27日判決、事件番号4A_45/2017)は、「経済的自由が消滅する場合」または「経済的存立の基盤が危うくなる場合」のみ過度な拘束と評価されるという判断基準を示しています。

さらに、近年の判例として、スイス連邦最高裁判所(2024年11月5日判決、事件番号4A_379/2024)は、株主間合意における「先買権(Vorhandrecht)」について、譲渡者が株式を譲渡する単なる「意図」を抱いた時点で通知義務が発生するという原則を確認しました。また、雇用解消が外的な先買権発動事由となるケースについても判断が示されており、ファミリー企業における株主間合意の設計において重要な指針を提供しています。

参考:BGer(スイス連邦最高裁判所)|判例 4A_45/2017(2017年6月27日判決)

BGer(スイス連邦最高裁判所)|判例 4A_379/2024(2024年11月5日判決)

したがってスイスで株主間合意を策定する際には、一族の資産防衛を目的とするあまりに硬直的な内容にするのではなく、将来の世代が公正な価格で株式を譲渡できる出口戦略(エグジット)の機会を確保するなど、法的な有効性を維持するためのバランスの取れた契約設計が不可欠です。

スイスにおける信託制度の歴史的背景と最新の法務動向

スイスにおける信託制度の歴史的背景と最新の法務動向

ファミリーガバナンスにおいて、議決権の集約や資産の分散防止を目的として信託を利用することは世界的な潮流となっています。日本には独自の信託法が存在し、民事信託や家族信託が資産承継の柔軟な手段として広く活用されています。しかし大陸法系に属するスイスは歴史的に、英米法特有の衡平法に基づく「法的所有権と実質的所有権の分離」という信託の概念を国内の実体法として有していません。

スイスにおける信託の扱いは、2007年7月1日に発効した「信託の準拠法及びその承認に関するハーグ条約」への加入によって法的に整備されました。スイス連邦国際私法(以下「PILA」)第149a条によってハーグ信託条約が国内法化され、外国法に準拠して設立された信託が、スイス国内でも有効な法的枠組みとして正式に承認されるようになりました。PILA第149b条は信託文書における合意管轄条項の有効性を規定しており、書面等によって証明可能な形式で指定された裁判所の専属的管轄権を認めています。これにより、スイスに居住する投資家やスイスに資産を置く一族は現地の金融機関で外国信託名義の口座を開設し、スイスのトラスティ(受託者)に資産管理を委託できるようになりました。また、スイス連邦債務執行破産法第284a条の規定により信託財産を対象とした債務執行手続も法的に整備され、信託財産のみに限定された破産手続きの道が開かれています。

近年スイス国内の金融界および法務業界から、外国の信託法に依存するのではなく、スイス債務法に新たな章を追加し、純粋な「スイス法準拠の信託」を創設しようという強い要請がありました。連邦政府委託の規制影響評価(BASS AG, 2019年)では、スイス信託法の導入によって年間約10〜460百万スイスフランの純経済効果が生まれると試算され、導入を支持する声が経済界から多くあがっていました。連邦議会は政府に対してスイス信託法の創設を求める動議(Motion 18.3383)を可決し、これを受けて連邦政府は法案の草案を作成し意見公募を実施しました。

しかしこの導入プロセスは、重大な転換を迎えることになります。2023年9月15日、スイス連邦政府はスイス信託法の導入を当面見送ることを決定しました。その最大の理由は、税務上の取り扱いに関する政治的合意が得られなかったことにあります。連邦政府は信託に対する明確な課税ルールの法制化を提案しましたが、これに対して経済界や各カントン(州)から、「既存の外国信託に適用されている税制よりも不利になる」あるいは「租税回避を助長する」といった相反する強い反発が起き、制度の導入に必要な多数派の支持を獲得することができませんでした。

参考:Bundesrat(スイス連邦参事会)|プレスリリース(2023年9月15日、スイス信託法導入見送り決定)

この結果、現状のスイスにおいてスイス法に準拠する信託を国内法で組成することは引き続き不可能であり、一族の資産を信託に拠出する場合は、従来通りハーグ信託条約の枠組みを利用し、イギリス法やリヒテンシュタイン法など外国法に準拠した信託構造を構築する必要があります。日本の法律に基づく家族信託をスイスの資産に適用する場合も、この国際私法とハーグ信託条約の複雑な規定を慎重に読み解き、信託財産の独立性がスイスの法域内でいかに保護されるかを個別に検証する必要があります。

家族財団の活用とスイス民法上の厳格な制約

信託に代わる、あるいは信託と並行して利用される伝統的な資産承継の器として「家族財団」があります。スイス民法第335条第1項によれば、一族の財産を特定の目的に結びつけるため、家族の構成員の教育や起業資金の給付、あるいは経済的困窮への援助を目的とする家族財団の設立が認められています。

日本の一般財団法人制度を用いた資産管理手法と比較すると、スイスの家族財団には厳格な制約が存在します。スイス法下では、一族の構成員に対して特段の要件(教育や困窮などの合理的な理由)を設けることなく、単に生活水準を維持あるいは向上させるためだけに継続的な給付を行うこと、すなわち「純粋な生活維持・享楽目的の財団」の設立は固く禁じられています。さらにZGB第335条第2項は、将来の世代に対して財産を永遠に縛り付ける「家族フィデイコミス(世襲財産制度)」の新たな設立を明示的に禁止しています。

この制限は、スイスの判例によっても厳格に適用されています。代表的な判例として、スイス連邦最高裁判所の1982年6月10日の判決(BGE 108 II 393)があります。この事案では、一族の別荘(シャレー)やその他の資産を、家族の保養・緊急時の避難場所として維持することのみを目的とした家族財団は、ZGB第335条第1項が許容する目的に該当せず、許容されないとされました。

さらに近年でも、この厳格な態度は維持されています。2024年2月2日のスイス連邦最高裁判所判決(事件番号5A_669/2022)では、商業登記所が特定の家族財団の登記を拒否した処分が争われました。裁判所は、財団の目的が一族への無条件の利益供与にあたる場合、それは強行法規であるZGB第335条に違反する不法な生活維持財団であり、商業登記を受けることはできないと判断し、登記所の拒否処分を適法として支持しました。

かつてスイスの家族財団は商業登記の義務を免除されていましたが、2016年1月1日に施行された法改正(ZGB第52条等の改正、AS 2015 1389)により、すべての家族財団に対して商業登記が義務付けられました。既存の家族財団には5年間の移行期間が設けられました。これにより、設立目的の適法性が登記手続において公的にかつ厳格に審査されるようになっています。したがってスイスで家族憲章の理念を実現するために家族財団を利用する場合、設立目的を単なる「一族の資産保全と配分」とするのではなく、教育支援や緊急時のセーフティネットといった法的に許容される目的に精緻に限定して定款を起草しなければなりません。

資産承継を劇的に変えるスイス改正相続法と遺留分の変革

資産承継を劇的に変えるスイス改正相続法と遺留分の変革

家族憲章に基づく資産承継スキーム(株主間合意や外国信託、および家族財団)を実行に移す際、最も大きな法的障壁となるのが相続法における「遺留分」の規定です。創業世代が会社の株式や運用資産を一人の後継者に集中させたり、信託や財団に移転しようとした場合、他の法定相続人からの遺留分減殺請求によって、入念に構築されたスキームが根底から覆されるリスクがあります。

この点に関してスイスでは、2023年1月1日に改正相続法(民法の一部改正)が施行されました。この改正の主たる目的は、被相続人の「自由に処分できる財産の割合」を大幅に拡大し、同族企業の事業承継や柔軟な資産移転を促進することにあります。一族の資産承継戦略に大きな恩恵をもたらす法改正となりました。

参考:SECO(スイス連邦経済省)|法改正情報(2023年相続法改正)

日本の民法と比較すると、その違いと戦略的優位性が明確になります。日本の相続法では、配偶者と子が相続人の場合、遺留分は全体で法定相続分の2分の1とされています。また、直系尊属(親)のみが相続人の場合でも、全体の3分の1の遺留分が強行法規として保障されています。

一方、2023年に施行されたスイスの改正民法(ZGB第471条等)では、以下のような抜本的な変更が加えられました。

相続人の属性改正前の遺留分(法定相続分に対する割合)改正後の遺留分(法定相続分に対する割合)
子(直系卑属)4分の32分の1
親(直系尊属)2分の1完全に廃止
配偶者・登録パートナー2分の12分の1(変更なし)

この法改正により、親の遺留分権利は完全に消滅しました。また、子(直系卑属)の遺留分も従来の4分の3から2分の1へと大幅に縮小されました。具体的な計算例として、被相続人が配偶者と複数の子を残して死亡した場合、法定相続分は配偶者が2分の1、そして子が残りの2分の1を分け合います。改正後の法律では、配偶者の遺留分はその法定相続分(2分の1)の半分、すなわち全体の4分の1となり、子(複数いる場合は全員合計)の遺留分も法定相続分(2分の1)の半分、すなわち全体の4分の1となります。結果として、被相続人が遺言等で完全に自由に処分できる財産の割合は全体の2分の1にも達します。これにより現経営者は、生前贈与や遺言を通じて自らが適任と考える特定の後継者に事業の支配権(株式)を集中させたり、家族憲章の理念に沿って資産の大部分を信託や家族財団に拠出したりすることが以前より容易になりました。

遺留分を侵害する生前贈与や遺贈が行われた場合、不利益を被った相続人はZGB第522条および第532条に基づき、自身の遺留分が回復するまで減殺請求を行うことができます。今回の法改正では、減殺の対象となる財産の順序もより明確化されました。まず法定相続による取得分が減殺され、次に死因処分(遺言による贈与など)、そして最後に生前贈与が新しいものから順に減殺の対象となります。

ここで重要なのは、資産を外国の信託に拠出したとしても、スイスの強行法規である遺留分制度を完全に回避できるわけではないという事実です。ハーグ信託条約第15条は、信託の準拠法がいかなるものであっても、信託財産の所在国や関連する法域における強行法規(特に家族法や相続法における強制的な相続権、すなわち遺留分や債権者保護の規定)の適用を妨げない旨を明記しています。

したがって、スイスに居住する被相続人やスイスに所在する資産について信託を設定する場合、スイス改正相続法における新たな遺留分枠を正確に計算し、その範囲内で信託への拠出額を決定する等の綿密な設計が不可欠です。

改正によって遺留分リスクが低減したとはいえ、事業に関与しない親族に対する公平な経済的配慮を怠れば、法廷闘争へと発展する可能性は残されています。家族憲章の中で後継者への株式集中と非後継者への代替的資産(不動産・金融資産・信託を通じた定期収益分配)の提供方針を明確に定め、相続法上の遺言・遺産分割合意、さらにはZGB第495条に基づく相続放棄契約(Erbverzichtsvertrag)と連動させることが、現代のスイスにおける実践的なファミリーガバナンスの完成形と言えます。

まとめ

スイスにおいて一族の資産を保全し、次代へと確実に引き継ぐためには、理念を記した家族憲章を策定するだけでは不十分であり、それをスイス固有の法制度と緊密に連携させる必要があります。無効とされないよう過度な拘束に配慮して綿密に設計された株主間合意や、ハーグ信託条約の下で承認される外国信託の活用、そして純粋な生活維持目的を排除し厳格な要件をクリアした家族財団の設立、さらには2023年に施行された改正相続法による自由処分枠の拡大を活用した生前贈与や遺言の策定など、多角的な法的アプローチが求められます。特に信託や財団の税務的および法務的取り扱いは、スイス政府の政策転換や最高裁判所の最新の判断によって常に変化しているため、正確な制度理解が紛争予防の鍵となります。

こうした複雑かつ高度な対応が求められる国際的なファミリーガバナンスと資産承継の領域において、モノリス法律事務所は提携するスイス現地の法律事務所と緊密に連携し、現地の最新法令に基づく制度設計から関連文書の作成・手続きの実行まで、日本企業の皆様に一貫した法務サポートを提供いたします。

監修

河瀬 季

Toki Kawase

IT企業経営の経験を持つエンジニア出身の弁護士。東大院修了後、モノリス法律事務所を開設。上場企業からスタートアップまで顧問弁護士やCLOとして経営を支援する。特にスイス法務に精通し、専門チームを率いて現地法人設立から労務、知財戦略分野で日本企業のスイス進出を多角的にサポートしている。

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