スイスにおける債権回収と支払督促手続き:迅速な解決への道
スイスをはじめとする欧州圏においてビジネスを展開する、あるいは今後の新規参入を検討している日本企業にとって、取引先からの支払遅延や債務不履行といったトラブルへの対応は、事業継続とリスク管理の観点から重要な課題です。国境を越えた商取引においては、現地の法制度や実務的な手続きを正確に把握し、問題が発生した際に実効的な手段を講じることが、企業の利益と資金繰りを守るために欠かせません。
本記事では、スイス独自の迅速な債権回収手段である「支払督促手続き」および関連する破産法、さらには債務者の資産を凍結する仮差押えのメカニズムについて、スイス政府の法令や最新の統計、そしてスイス連邦最高裁判所の判例を交えながら解説します。
スイスにおける支払督促手続きは、事前の裁判を経ることなく債務執行局を通じて直ちに公的な督促を開始できるという、日本の制度とは異なる利点があります。相手方からの異議申立があった場合の対応策や、外国企業を対象とした特有の要件にも踏み込み、スイスにおける債権回収の全体像と実務上の戦略を詳しく解説します。
スイス債権回収手続きと破産法の基本構造
スイスにおける債権回収および強制執行の手続きは、連邦法である「債務執行および破産に関する連邦法(Schuldbetreibungs- und Konkursgesetz、以下SchKG)」によって体系的に規定されており、スイス全土のどの州(カントン)においても統一された基準で運用されています。この法律は、単なる金銭債権の督促にとどまらず、最終的な破産手続きに至るまでの一連のプロセスを包括的に定めている点に特徴があります。
日本の法律との重要な違いは、強制執行や債権回収手続きを開始するための要件のハードルにあります。日本の民事執行法に基づく強制執行を行うためには、原則として確定判決や和解調書、あるいは執行認諾文言付きの公正証書といった「債務名義」をあらかじめ裁判所などを通じて取得していることが求められます。日本の支払督促手続きを利用する場合においても、簡易裁判所の書記官に対して申し立てを行い、司法機関を介した一定のプロセスを経る必要があります。しかし、スイスの債務執行および破産に関する連邦法に基づく支払督促手続きでは、事前の裁判所による判決や債務名義は一切不要です。
債権者は、自らの請求の正当性を証明する契約書や請求書といった証拠書類を最初に提出することすら求められず、管轄の債務執行局に対して執行の申立てを行うだけで、即座に手続きを開始することができます。申立てを受けた債務執行局は、請求内容の真実性や法的根拠を実質的に審査することなく、債権者の主張に基づいて直ちに債務者に対して支払督促状を発付します。この制度設計は、債権者側から見れば法的な圧力を迅速に行使できる手段であり、訴訟提起に伴う初期費用や時間的コストを削減できるという利点があります。
参考:fedlex(スイス連邦政府法令データベース)|SR 281.1 債務執行および破産に関する連邦法(SchKG)
スイスにおける支払督促手続きのプロセスと債務執行登録簿がもたらす影響

債務執行局から債務者に対して支払督促状が公式に送達されると、債務者には今後の対応を決定するための短い期限が設定されます。具体的には、債務者は支払督促状の送達を受けた日から20日以内に、請求された金銭および発生した執行費用を全額支払うか、あるいは送達から10日以内に異議申立を行うという二つの選択肢を迫られます。このうち異議申立の期間は、欧州の他国の同様の手続きと比較しても短く設定されており、債務者が適切な法的対応を怠ったり、通知を見落としたりした場合には、次の強制執行や資産差し押さえの段階へ進行します。
さらに、スイスにおける支払督促手続きをビジネス上の戦略として活用する際の大きな利点は、「債務執行登録簿」の存在にあります。債権者が債務執行局に申し立てを行ったという事実そのものが、スイス国内で管理されている債務執行登録簿に公的な記録として登録されます。この登録簿の記録は、正当な利益を有することを証明できる第三者であれば閲覧できます。銀行などの金融機関、信用保証会社、不動産賃貸業者、さらには新規の取引先などが、相手企業の信用調査を行う際に頻繁に参照します。
したがって、スイス国内で事業を継続し、資金調達やオフィス賃貸などの契約を維持する必要がある企業にとって、債務執行登録簿に債務不履行や督促の記録が残ることは、企業の社会的信用や事業の存続に深刻な影響を及ぼします。このため、たとえ相手方が最初は支払いを渋っていたとしても、登録簿への記載を回避する、あるいは既になされた記載を抹消することを目的として、裁判に発展する前の段階で和解に応じたり、未払い金を支払ったりする動機付けとして機能します。このメカニズムにより、スイスにおける債権回収は訴訟を経ずとも高い回収率を示す傾向にあります。
また、債務執行局に支払う手続き費用は、請求する債権額の規模に応じて段階的に設定されており、少額の債権であっても費用対効果を見込める合理的な料金体系です。以下は請求額に対する基本的な手数料体系の一例です。
| 請求額(スイスフラン) | 手数料(スイスフラン) |
| 100まで | 7 |
| 100超から500まで | 20 |
| 500超から1,000まで | 40 |
| 1,000超から10,000まで | 60 |
| 10,000超から100,000まで | 90 |
スイスにおける相手方からの異議申立と異議排除のための法的対応
支払督促手続きは迅速に進行する一方、証拠不要で開始できる制度とのバランスをとるため、債務者側にも不当な請求から自らを守るための簡便な防御手段が用意されています。スイス法下において、債務者が支払督促に対して異議申立を行う際には、法的な根拠や反証の理由を具体的に提示する必要はありません。債務執行および破産に関する連邦法第75条によれば、債務者は単に「異議を申し立てる」旨を口頭または書面で債務執行局に伝えるだけで足ります。この異議申立が行われると、支払督促に基づく執行手続きは一時的に効力を失い、停止します。
一時停止した手続きを再開し、実際に債権回収へ進むためには、債権者側が裁判所に対して異議の排除を申し立てる必要があります。この異議排除手続きには、債権者が保有している証拠の法的な性質に応じて、「確定的異議排除」と「仮の異議排除」という二つの明確なルートが存在します。
確定的異議排除は、債務執行および破産に関する連邦法第80条に規定されており、債権者がすでに執行力のある裁判所の確定判決や、それに準ずる公的な債務名義を保有している場合にのみ利用可能です。このルートでは、債務者が対抗できる手段は限定されており、判決が下された後に債務を弁済したことや、消滅時効が成立したことなどを公的文書で即座に証明できる場合にしか執行を阻止することはできません。
一方で、企業間の取引実務においてより頻繁に利用され、かつ重要となるのが、同法第82条に基づく仮の異議排除手続きです。債権者が事前の確定判決を有していなくても、公的な証書、または債務者本人の署名によって明確に裏付けられた「債務承認書」を保有している場合には、裁判所に対して仮の異議排除を申し立てることができます。契約書や発注書、納品後の検収書、あるいは債務を認める内容が明確に記載された署名入りの通信記録などがこの要件を満たす可能性があります。裁判所によって仮の異議排除が認められた場合、債務者は20日以内に自ら債務不存在確認訴訟を提起して争わなければなりません。これを怠った場合や訴えが棄却された場合には、仮の決定が確定的なものに転換し、強制執行が続行されます。
この債務承認書の要件が満たされているかどうかについて、スイス連邦最高裁判所は過去の判例において明確な基準を示しています。2006年3月28日に下された判決(公表号:BGE 132 III 480)において、同法第82条第1項に基づく債務承認と認められるためには、債務者がいかなる条件や留保も付けることなく、一定の金額または容易に算定可能な金額を支払うという意思が、提出された文書から明確に読み取れなければならないと判示しました。債務承認の根拠が複数の文書の組み合わせから構成されること自体は許容されますが、債務者が実際に署名した文書中で、具体的な請求金額を決定づける他の文書への直接的かつ明確な言及がなされていなければならないという基準が示されています。
参考:BGer(スイス連邦最高裁判所)|判例 BGE 132 III 480(2006年3月28日判決)
また、それ以前の1988年10月19日の連邦裁判所判決(公表号:BGE 114 III 71)において、署名された文書自体に具体的な金額が明記されていなくても、当事者の意思に依存しない客観的な状況や法定の基準から容易に請求金額が算定可能であれば、署名による債務承認書としての要件を満たすと判断されています。これらの判例は、日常的な取引で作成される書面の重要性を示しており、スイスを相手とするビジネスにおいては、債権回収のフェーズを見据えた書面作成の徹底が求められます。
参考:BGer(スイス連邦最高裁判所)|判例 BGE 114 III 71(1988年10月19日判決)
仮差押(Arrest)の要件とスイス特有の外国人に対する適用

債権を最終的に回収するためには、相手方に対する法的な優位性を確立するだけでなく、相手方が資産を隠匿したり海外へ不正に持ち出したりする前に、対象となる資産を保全しておくことが不可欠です。スイスにおける仮差押手続きは、債務執行および破産に関する連邦法第271条から第281条にかけて詳細に規定されており、日本の仮差押え制度とは異なる、スイス特有の要件が設けられています。
仮差押えを裁判所に認めてもらうためには、債権者は「債権が確実に存在すること」「仮差押えを行う正当な理由があること」「スイス国内に差し押さえるべき債務者の資産が存在すること」という三つの要件を疎明しなければなりません(同法第272条)。日本の法律においても、仮差押えの理由としては、債務者が財産を意図的に隠匿する恐れがあることなど、将来の強制執行が著しく困難になるという客観的な保全の必要性が求められます。スイスでも同様に、債務者が自らの義務の履行を不当に免れる目的で資産を移動させたり、逃亡の準備をしているような状況(同法第271条第1項第2号)は、仮差押えを認める十分な理由となります。
しかし、スイス法において最も特徴的であり、国際的なビジネス実務において頻繁に利用されるのが、同法第271条第1項第4号に基づく「外国人に対する仮差押え」という規定です。この仮差押えは、債務者がスイス国内に住所を有しておらず、他に仮差押理由がない場合において、当該請求がスイスとの十分な関連性を有するとき、または同法第82条第1項に規定する債務承認に基づくときに認められます。スイスは世界有数の金融ハブであり、多くのグローバル企業がスイスの銀行に資金を預託しています。そのため、日本の債権者が欧州や他地域の債務者とトラブルになった際、その債務者がスイス国内に銀行口座を持っていることを把握していれば、スイスの裁判所で手続きを行うことで口座を即座に凍結させ、和解交渉を有利に進める切り札にできます。
ただし、この外国人に対する仮差押えの対象となる「資産の所在地要件」については、法的な濫用を防ぐための厳密な解釈がなされています。スイス連邦最高裁判所の1986年7月10日の判決(公表号:BGE 112 III 47)では、いわゆる「ポケット仮差押え(Taschenarrest)」の適法性が争われました。アメリカに居住する債務者が、別の訴訟の審問に出席するために一時的にチューリッヒ地方裁判所を訪れた際、債権者が外国人に対する仮差押えの条項を根拠として、債務者がポケットに所持していた現金等をその場で差し押さえようとした事案です。
スイス連邦最高裁判所はこの事案に対し、外国人仮差押えの対象資産は恒久的または一定の長期間スイス国内に安定的に置かれている資産、または最初からスイスに保管する明確な意図を持って持ち込まれた資産に限られると判示しました。裁判に出席するための一時的なスイス滞在に伴う所持金は、この外国人仮差押えの対象とはならないとして、債権者の主張を退けました。この判例は、スイスの資産保全手続きが強力である一方、制度の濫用に対して裁判所が歯止めをかけていることを示しています。
スイスにおける破産法の適用範囲の拡大と最新の統計動向
スイスにおいて法人が債務者である場合、支払督促手続きにおいて異議排除がなされ、債権者が続行の申立てを行うと、債務執行局はこれを受けて直ちに「破産警告」を発します。破産警告の送達から20日が経過すると、債権者は裁判所に対して破産手続きの開始の申立てを行うことができ、裁判所がこれを認めることで初めて対象企業は正式に「破産手続き」へ移行することになります(破産手続開始の宣告)。破産宣告が正式になされると、その企業は自らのすべての資産に対する管理権や処分権限を即座に喪失し、裁判所によって選任された破産管財人の管理下に置かれます。その後、企業資産は清算され、債権者に分配されます。これは法人にとって致命的な事態です。そのため、スイスにおいて企業に対して支払督促手続きを開始することは、「破産宣告」という脅威を背景とした強いプレッシャーとして機能し、債権回収の実効性を担保する大きな要因となっています。
最新のスイスの法令および実務動向として特に注目すべきは、公法上の債権の回収手続きにおける法改正の影響です。従来、税金や社会保険料といった公法上の請求に関しては、別の回収手続きが適用されていましたが、法改正によりこれらの請求に関しても破産手続きを通じた回収が可能となりました。スイス連邦統計局が公表した最新の債務執行および破産に関する統計プレスリリースによれば、2025年にスイス国内の企業に対して新たに開始された破産手続きの総件数は12,485件に上り、前年と比較して61.2%増という急激な増加を記録しています。
破産件数の増加は、その大部分が、公法上の請求に基づく破産宣告が新たに可能となった法改正の影響によるものと連邦統計局によって分析されています。ただし、影響を正確に数値化することはできないとされています。こうした全体的な傾向は、民間企業間の債権回収実務にも間接的な影響を与えています。裁判所や破産管財人の業務量が増加していることに加え、債務を抱えるスイス企業が公的機関からの破産申し立てによって突然倒産するリスクが高まっているため、一般の債権者は自らの債権を保全するために、より迅速に行動を起こす必要に迫られています。
参考:BFS(スイス連邦統計局)|破産・債務執行統計(Betreibungs- und Konkursstatistik)
参考:BFS(スイス連邦統計局)|プレスリリース「Starker Anstieg der Konkurse im Jahr 2025」(2026年5月21日)
このような公的な統計データや法制度の厳格化という背景からも明らかな通り、現在のスイス国内では債務不履行に対する法的な制裁措置が以前にも増して厳格に運用されています。債権者による支払督促手続きの開始は、企業の存続を揺るがす効果を持つことが明白になっています。
また、スイス債務法(OR)第135条の規定によれば、債権者が債務執行局に対して支払督促の申し立てを正式に行うこと自体が、債権の消滅時効(スイスでは多くの商取引債権において原則10年と定められています)の進行を即座に中断させ、時効期間をリセットする法的効力を有しています。したがって、相手方が異議を申し立ててくると予想される困難な事案であっても、時効の完成を防ぎ、法的な請求権を維持するために、まずは速やかに支払督促手続きを開始することが、スイスにおける債権回収実務上の最善策とされています。
まとめ
スイスにおける債権回収の根幹をなす支払督促手続きは、事前の裁判手続きや複雑な債務名義の取得を必要とせず、債務執行局を通じて迅速かつ直接的に債務者へ公的な圧力をかけられる合理的な法的手段です。とりわけ、債務執行登録簿への記載が債務者の事業運営や資金調達能力に与える甚大な影響や、スイス独自の外国人に対する仮差押え制度がもたらす戦略的な柔軟性は、欧州圏でビジネスを展開する日本企業にとって、実効性の高いリスク管理の要となります。
一方で、債務者から理由を示さない簡便な異議申立が行われた場合には、債務承認書等の確たる証拠に基づき、裁判所で速やかに異議の排除を得るための厳密な法的対応が不可欠です。スイス連邦最高裁判所の判例が明確に示している通り、裁判所に提出する契約書や合意文書の要件は厳格に審査されるため、取引の初期段階から現地の法制度や実務慣行に精通した専門家の知見を取り入れ、的確な文書作成、証拠保全、そして適切なタイミングでの法的措置を講じることが、債権回収を成功に導く最大の鍵を握ります。
こうした高度な専門性と地域特有の法的手続きが要求される欧州での課題に対し、モノリス法律事務所は、スイスの現地の法令や裁判実務に深い知見を有するAraucaria法律事務所と提携しております。当事務所はIT関連の専門的な取引知識と国際法務の経験を活かし、現地の提携事務所と密接に連携することで、日本企業が海外進出や国際取引において直面する複雑な債権回収、各種の保全措置、そして不測のトラブルに対して、言語や商習慣、制度の壁を越えた切れ目のないサポートを提供いたします。現地の最新の法制度動向を正確に把握するスイスの専門家と、日本のビジネス実務や企業法務の感覚を深く理解する当事務所が一体となり、迅速な解決への道筋を描くことで、皆様の安全で健全なグローバルビジネスの推進を支援してまいります。
河瀬 季
Toki Kawase
IT企業経営の経験を持つエンジニア出身の弁護士。東大院修了後、モノリス法律事務所を開設。上場企業からスタートアップまで顧問弁護士やCLOとして経営を支援する。特にスイス法務に精通し、専門チームを率いて現地法人設立から労務、知財戦略分野で日本企業のスイス進出を多角的にサポートしている。
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